遠州木綿の歴史と製造工程

made in hamamatsu 昔ながらの機で織る遠州棉紬

 天竜川の豊かな水と温暖な気候によって古くから綿花の産地として栄えてきた静岡県西部に位置する遠州地方。綿花の栽培農家が副業としてはじめた手織りの綿織物、遠州木綿の歴史は江戸時代の中期にまで遡ります。 明治自時代に木綿商人の活躍によって販路が拡大し、遠州木綿は全国に知られるようになりました。遠州生まれでトヨタグループの創始者である豊田佐吉氏によってシャトル織機が発明されたことで、綿織物の生産量は飛躍的に増加。力織機は日本の繊維業に革命をもたらしただけでなく、後にその繊維機械事業が基盤となって自動車開発が行われます。シャトル織機は日本が誇る技術力の原点、そしてその技術によって遠州は国内で最も早く織物の工業化に成功した織物産地として発展しました。織物と自動車、全く違う製品が同じ技術で繋がっているんですね!

   

遠州棉紬ができるまで


遠州木綿の製造は分業で賄われています。織物の製造というと多くの人が機織りの場面を想像するようですが、糸を仕入れてから機織りまでの間には下図に示したようにいくつもの工程を経ています。そして、各工程ごとに専門の職人がおり、それぞれ別の工場で仕事をしているので、おそらくみなさんが思っている以上にたくさんの時間と手間がかかっているのです。





では、ここから先は、普段あまり見ることができない作業の様子を覗いてみましょう。

さぁ、糸の旅のはじまり、はじまり。

 

1.綛上げ(かせあげ)


メーカーから仕入れた原糸は、染色や糊付け作業のために綛上げ屋で一定量の綛にします。綛とは、ぐるぐると束になった糸のことを指しています。束ねた糸端の処理は、後の工程で糸が絡んだり強く引っ張っても解けたりしないよう気を配りながら、すべて手作業で行います。




 

2.精錬・染色


鮮やかな手つきで束ねられた綛は染色屋へ送られます。綿糸には棉の茎や葉のカスなどの不純物が付着しているため、染色屋に届いた綛はまず熱湯で洗われます。この工程を精錬といい、棉の油分やアクを落として不純物を取り除くことで、糸にしっかりと色が染まるのです。




 

3.糊付け


機織りの際、摩擦によって糸が切れたり、毛羽立ったりするのを防ぐため、経糸に糊を付けるのが糊付け屋です。この糊は商品の品質を左右するほど後の工程に大きく影響するため、糸の種類や量、天候などを考慮して、原料となる数種類のでん粉を都度調合しています。




 

4.管巻き


糊付けされた綛は管巻き屋に運ばれ、今度は「いもくだ」へと姿を変えます。レトロな機械がカラカラと音を立てて一度動き出すと、それはすべての管巻きが終わるまで止まりません。糸が切れないよう全体に目を配りながら、常に20個ほどのいもくだを同時に巻いていくのです。




 

5.整経(せいけい)


整経とは経糸を正しく整える工程です。ここで順番を間違えると柄がおかしくなってしまうため整経屋は糸の配列が書かれた図案をもとに、いもくだを慎重に配置していきます。いもくだから引き出した糸を機械でいっきに巻き取ると、いよいよ工程も終盤に差し掛かかります。




 

6.経通し(へとおし)


経通しとは、ドロッパー・綜絖(そうこう)・筬(おさ)という三つの部品に経糸を一本一本通していく工程です。糸を通す箇所を間違えると生地に傷ができてしまうため、失敗は許されません。遠州木綿の経糸は約1,000本。この根気のいる作業を終えたら、いよいよ機織りですよ!




 

7.機織り


真っ白だった糸が、姿を変えて池沼織工房に届きました。経通しを終えた経糸を織機に乗せ、部品を決まった場所に取り付けたら、ようやく機織りのはじまりです。





ビームに巻かれた経糸をすべて織るにはおよそ一ヶ月もの時間がかかり、その間天候によって糸や織機の状態は日々変化するため、熟練工が常に機械の調子合わせをしながら織り上げているのです。





真っ白な糸が、たくさんの職人の手を渡り歩いて生地になりました。そして今度は衣類や雑貨へと姿を変え、また新たな旅が始まります。

もしどこかで遠州木綿に出逢ったら、どうか大切に使ってあげてくださいね。

 
池沼織工房 千織https://hatayachiori.shop-pro.jp/ COLUMN より